御府内沿革圖書と称されている地図帳は、御府内往還・其外沿革圖書(15部15冊)と御府内場末往還。其外沿革圖書(7部26冊)の2部からなっているが、今回、原書房で発行されたものは御府内の15部である。
御府内沿革圖書は文化4年(1807)に老中牧野忠精の命で普請奉行の小長谷政良、岩瀬氏紀が調査を開始した。文化7年(1810)までに1部より7部までの7冊が編集。倹約令のため中止が相次ぎ、天保元年(1830)に老中水野忠成により復活、安政5年(1858)に至って22部まで一応編集完了。文久元年より追加調査ならびに角田川以東の調査がされたものである。
原書房の配本の第3巻に(10)駿河台、小川町之内があり、現在の千代田区神田駿河台1〜4丁目、神田小川町1〜3丁目、神田淡路町1.2丁目が記載されている。
下記の地図は年間別の変遷を示したものであるが、延宝年中(1673〜1681)のものと元禄元年頃(1688頃)の地図帳には「芦浦観音寺」「観音坂」の記載が見られる。
また、元禄年中(1688〜1704)、文化5年(1808)には「芦浦観音寺」は見られず「観音坂」は見られる、文久元年(1861)の地図帳には両方とも見つからない。
よって芦浦観音寺が船奉行の拝命時期と重なって江戸に屋敷があったものと思われる。この江戸屋敷のあったところと現在聖観世音菩薩を祀った祠の場所は一致するので何らかの関係があるものと思われるが、今後の調査に譲る。